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執筆者の写真3B Japan

人生100歳時代、3B(3Beauty)の夢を追い求めて



Belcolon発売に当たり、私の夢を語らせて頂きます。生後半年間、赤ちゃんのお腹は98%の乳酸菌で占められ、沢山の乳酸菌がか弱い赤ちゃんを守るナイトとして働いています。また、1個の受精卵から60兆個の細胞を持つ赤ちゃんにまで育て上げる胎盤(プラセンタ)は、誕生後もその栄養で育てたら半年後には富士山位の大きさに成長するほどの栄養の宝庫と言われています。赤ちゃん誕生にまつわる乳酸菌とプラセンタの自然の摂理の素晴らしさを知った私は「この感動を伝えたい。」と、新天皇陛下のご息女愛子様が誕生した2002年から、3B通信を書き始めました。その時のテーマは“乳酸菌で赤ちゃんの様なお腹に近づき、プラセンタで赤ちゃんの様な肌に、延長に赤ちゃんのようなご機嫌な日々。腸の美、肌の美、心の美、3つの美3Bを実現して人生を賛美しましょう。”です。

   

その様な考えの中、結婚当初から同居する70歳の義父は私の恰好の研究対象になっていきました。彼は50代頃から続く不定愁訴に悩み、医者に行っても解決されず、民間療法にすがる日々でした。また、若い頃、銀座の街を歩くと多くの女性が振り返ったと言うほどの超ハンサムで美意識が高く、鏡に写る顔に自分の老い・老醜を意識するようになっていました。早速に第一号の愛用者として、参加し、90歳で2007年に亡くなるまでの日々、私は義父の肉体を通し、乳酸菌やプラセンタの効果を知る機会を得ました。愛用間もなく胃ガン発見や他の不調も時にはありましたがその度毎に乳酸菌等の利用で復活し、あまり病気に悩みことなく、最晩年は病院との縁の無い静かな平穏な日々を過ごしました。2007年7月末、大きく体調を崩し、入院2週間。義父の「自宅で死にたい。」の夢を叶える為、自宅に帰り10日間の自宅での看護と看取り。入院時「これ程綺麗なお年寄りを見たことない。」と看護師に言わしめた程の肌の美しさを保ち、多くの人が“そうあらん。”と望む様な死を実現しました。それを支えたのが乳酸菌やプラセンタでした。


そして、義父の最晩年、最期の姿を通して、私に新しい3Bの夢“美しく生き、美しく老い、美しく死ぬ。”が加わりました。私も後3年少々すると義父が乳酸菌やプラセンタと出会った年齢70歳。自分自身がその年なることに驚きを感じます。

人生100歳時代と言われる今、myブランドBelcolon発売で新たな3Bの歴史が始まろうとしています。義父程、美意識は高くはありませんが坦々と乳酸菌で腸ケア、プラセンタでスキンケアを継続し、私自身が老境に突入する中、私なりの3Bを追求していきたいと思います。皆さんも是非、ご自分なりの3Bを追求して、豊かな幸せにある日々を送って下さい。

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